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私のきりえ考
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主張の強い形はそれだけで人はそのまま感じる。
しかし、優柔不断な形は煮え切らないだけ、感じ方は自由だ。
その自由さの中で、実はその形自身がまんまと生き延びている。
これはいつもの付き合い仲間でもいえるのだが・・・・
| 見たままの形 |
解釈いろいろ |
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その6 [ 創造は想像 2 ]
子どもはすごい。みな想像力の天才として生まれてきているのだ。
「ごっこあそび」はまさに想像力のやまそのものだ。
(もっとも、最近は作られたごっこ遊びでバーチャルなんとかという、お仕着せの想像」を
強制されるかわいそうな子どもが多いようだが)
さて、そこで、のっぺらぼうが表情を変える「想像」の実験をしてみよう。
ここでは主に具象画についての考察となる。
| 主 演 |
助 演 |
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| < 演技 1 > じっと見つめている ボーとしている 無表情 |
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| < 演技 2 > 呼んでいる 振り返っている やさしい表情 |
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| < 演技 3 > おどけている 覗いている 笑顔! |
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あえて演技に「ト書き」を入れたのは、先入観を持たせるため。(正直が一番!)
ともあれ、そう言われればそんな風にも・・・と思っていただけるとありがたい。
つまり、「のっぺらぼう」には、いろいろ想像できるあいまいさが存在するということなのだ。
その7 [ 創造は想像 3 ]
そこでいよいよ、きりえの世界だが、木を描くにしても、水を描くにしても、また山を
描くにしても、どんなに丁寧に微にいり細にいり切り込んだとしても、結局は実物と
違う形の積み上げでしかない。
とすれば、あとは人々の想像力をかきたて、それに頼ることになるのだ。
| これは何だ? |
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| 人 の 目 だ |
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| こ れ は ? |
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| こ れ も 目 だ |
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こうして見ると、きりえもまた、部分は全体のなかあってそのぞんざいを意識する
ということになる。想像は時として根拠のない重い過ごしかもしれない。
しかしそこにも創造の空間は広がっている・・・。
そして、きりえ考はまだほんの帳口に入ってばかり。
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