私のきりえ考

 
 その5 [ 創造は想像 1 ]                                       


         主張の強い形はそれだけで人はそのまま感じる。                       
          しかし、優柔不断な形は煮え切らないだけ、感じ方は自由だ。                     
         その自由さの中で、実はその形自身がまんまと生き延びている。              
         これはいつもの付き合い仲間でもいえるのだが・・・・                     

 
見たままの形
 
 解釈いろいろ 
 

  その6 [ 創造は想像 2 ]                                         

          子どもはすごい。みな想像力の天才として生まれてきているのだ。         
          「ごっこあそび」はまさに想像力のやまそのものだ。                
          (もっとも、最近は作られたごっこ遊びでバーチャルなんとかという、お仕着せの想像」を
           強制されるかわいそうな子どもが多いようだが)                
          さて、そこで、のっぺらぼうが表情を変える「想像」の実験をしてみよう。   
          ここでは主に具象画についての考察となる。                    

 
主  演 
 助  演 
 
 < 演技 1 >


 じっと見つめている

 ボーとしている

 無表情
 < 演技 2 >


 呼んでいる

 振り返っている

 やさしい表情
 < 演技 3 >


 おどけている

 覗いている

 笑顔!

          あえて演技に「ト書き」を入れたのは、先入観を持たせるため。(正直が一番!)   
          ともあれ、そう言われればそんな風にも・・・と思っていただけるとありがたい。
          つまり、「のっぺらぼう」には、いろいろ想像できるあいまいさが存在するということなのだ。

  その7 [ 創造は想像 3 ]                                      

          そこでいよいよ、きりえの世界だが、木を描くにしても、水を描くにしても、また山を        
          描くにしても、どんなに丁寧に微にいり細にいり切り込んだとしても、結局は実物と      
          違う形の積み上げでしかない。                             
          とすれば、あとは人々の想像力をかきたて、それに頼ることになるのだ。       

 
   これは何だ?
 


 
人 の 目 だ
 
こ れ は ?
 
こ れ も 目 だ


          こうして見ると、きりえもまた、部分は全体のなかあってそのぞんざいを意識する         
          ということになる。想像は時として根拠のない重い過ごしかもしれない。     
                    しかしそこにも創造の空間は広がっている・・・。                  
                  そして、きりえ考はまだほんの帳口に入ってばかり。                

 

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